興味の継続

タグ: #random 

時々、急に大きな興味がやってきて全てを持っていかれる。 大体の場合夜更かしをするので、翌日以降日中の性能が酷く下がって普段と同じ程度諸々をこなそうとすると時間が足りない。 まあ、それだけなら翌日色々割り切って早く寝るとかでなんとかなる。 しかし、まだ興味が尽きていなかったり不完全燃焼だったりすると言うまでもないが延長戦なので更に悲惨である。 この前の日曜夜からがそれで、今日になって漸く幾分マシな生活を取り戻した。 こういった生活リズムの崩壊は最近あんまりなかったが久々にやらかしてしまった。

といったことがあったので、ここ数日短歌の更新ができなかったのに後悔の念がある。 短歌を作る気が無くなったりはしていないのだが、更新しなかったのだから、始めた頃に比べたら興味の度合いは減っているのだろう。 過去、何か大きな興味の割り込みを受けたのを契機に、それまで行っていた別の活動が投げ出され、それっきりになったが特に感情も抱かなかったといったことは少なからずある。 ただ、今回は稀有なことに意識的に短歌の制作が途切れたのを残念に思っているので、この辺りを整理できないかと思ってこれを書くことにした。

今何となく思っているところは、あくまで自分の場合についてだが、「ある興味の勢いだけで行ける範囲には限界があり、定期的に興味を注ぎ足してやりたいことの性質を保つか、義務的なやることの性質を高めないと続かない」んじゃないかということである。

正直、後者はあんまり採用したくない。 興味があって義務が伴った例として、興味があって取った科目のレポート課題があると思うが、こういうやつは大体一夜漬けで完成させていた。 このような定期的に出るレポート課題的な義務は、何かのイベントに出展側で申し込むといったことで発生させられると思うが、締め切り前に必死になるだけで継続の原動力にはならない可能性が高い。 では、小中学校の宿題のような毎日課される形式の義務だったらどうかとなると、宿題をサボる性格ではなかったので続かないことはなさそうではあるものの、そういった義務の根拠と認識し得る環境をどう作るかが問題になりそうで、この問題と対峙するのに比べたら前者を考えた方が大分マシな気がする。

そんなわけで、前者に救いを求めることになるのだが、興味のあることで夜更かしを実際にやらかしている人間であるので、まず、注ぎ足しの程度に気を付ければ継続の原動力にはなりそうだ、ということにしてもいいだろう。 注ぎ足しの程度を変にしないためには、興味は続けたい事柄かその近くの畑の中から拾って来ることにして、かつ、その興味を適宜丁度良い大きさに加工する必要があると思う。 畑については、全く違う分野では冒頭の後悔の二の舞なので、言うまでもない。 大きさについては、これが指すものは色々あり、例えば抽象度や労力といったもので、大きさが適切でないと取り組むのが困難になりそうなので挙げてみた。 まあ、勘なので何かもっと別の適切な手法や意識すべきパラメータがあるかもしれない。

振り返ると自分の継続しようとする方法は後者に寄っていたようだ。 結構減点方式な思考回路をしている自覚もあるし、次の段階に踏み出すにあたって、原則、何ができていないか、何が足りないかなどといった事柄からアプローチしていたように思う。 なんというか、これは自分自身に対して締め切りが曖昧な宿題を出すような感じであり、恐らく、上手く興味が伴わないと簡単に放置され得る。 今まで大量に散乱させてきた一生手を付けなくてもおかしくない宿題の数々は適切な興味が連結していないんじゃないか、と思うと自分的には納得できるものがある。

あとはこれをどう実践するのがいいんだということだが、興味で行う活動については、基本的にタスク単位でなく興味単位で行動してみるのはどうだろうかと思っている。 興味は安直にタスクのレベルに落とし込まない方が興味が保たれるのではないかということである。 ある程度習得した技能に関して言えば興味をタスクにしても実行できそうだが、上手くいかないことの方が多い段階では興味の形を失わせない方がいいような気がする。 今までタスクの分割とスケジューリングが上手くいかないと散々言ってきたが、これを試しに興味の仕入れと分割とスケジューリングに変えて暫くやってみようかなと思っている。


一覧に戻る